安宅和人「イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」」

「イシューからはじめる」とは、解くべき問題(イシュー)を見極め、作業仮説を立ててから仕事を進めることである。欲しい結果を先にイメージすること。

この方のブログの記事には感銘を受けた。この本も、面白かった。
一方で、個人的には、あまり新しい考えではなかった。…これは、一つの発見であった。

どういうことかというと、この本でも何かとその言葉が引用される研究者という職業のものにとって、この「イシューからはじめる」やりかたはあまりにも馴染みのものである(はずだ)からである。
問題を分解してほしいデータをイメージするのは、論文のデータを取る前に必ず踏むステップだ。また、どういう問題が取り組むに値するかを考える際には、『誰もが「答えを出すべきだ」と感じていても「手がつけようがない」と思っている問題に対し、「自分の手法ならば答えを出せる」と感じる「死角的なイシュー」を発見する(p74)』ことを意識する。
また、情報収集において、知りすぎるとアイディアが生み出しにくくなる、というあたりもまさにその通りで、ある程度面白そうだと思ったら、それ以上細かくは調べずに計画を立てている。
さらには、欲しい数字が出ない場合にどのように発想を転換するか、といったあたりのアドバイスもそうだ。著者のバックグラウンドがそうだからだと思うが、極めて普段やっていることに近く、何の疑問もなかった。

修士(博士前期)課程くらいまでだけではなかなか難しいかもしれないが、博士号をとるくらいのレベルで論文を書いたり新しく研究を始めたりしたことがあれば、よほどちゃんと指導してくれない研究室でなければ、この本に書いてあるようなステップを踏む経験ができているはずだ。
ビジネス書としてこの本が注目されているとすれば、そして、著者がビジネスの世界で成功できていることを踏まえれば、少なくともそういう経験をしてきた科学者は、もっとビジネスに向いているはずだと胸をはってもいいはずである。「博士号は問題設定・解決の基礎を習得したプロである」…この本に勇気を得て、どんどんそう主張すればいい。

逆にいえば、そういう人材を生み出そうとするのが、大学院での教育の役割の一つであるのかもしれない。特に、科学研究のやりかたというのはビジネスにも関連してくるのだ、という意識づけが重要であるように感じる。たとえば、研究の世界に入ったあとでも、意識してビジネスの世界にいる友人らと話して考えれば、どれだけ自分の経験が生かせるかが見えてくる。
博士号をとるほどに研究をする場合に、ただいい結果を出すことを目標とするのでなく、それを一般的に問題設定と解決の方法としてとらえ直せるような気のもちようを少しでも会得することが大事なのかもしれない。