中井浩一「正しく読み、深く考える 日本語論理トレーニング (講談社現代新書)」

国語専門塾を営む著者が、『中学生以上のすべての人がやっていけるような簡単な方法(p22)』で、日本語の論理の意味を解き、短めの例文で読者のトレーニングを試みる。
そのキモは以下の三つである。

反対の関係の「対」、同一の関係の「言い換え」、橋渡しをする「媒介」(p22)

これらの関係を文章中から正しく見抜き、論理を追っていけるようにするのが本書の目的。
不思議な本である。また、まじめな本である。
例文は、さすがに中学生が読むには少し難しいかなとも思うが、大人が読むには少し簡単な気がする。上で挙げた三つの関係を見つけていくのも、それなりに本を読むのに慣れた人なら別段難しくもない。ただ、著者は淡々と(途中に文章の個人的な解釈をはさみつつ)、これとこれが「対」でこれとこれが「言い換え」で…とやっていく。
最後の二章で、これらを使って少し長めの、入試問題のようなものを読むことになる。同じ調子でやっているとあら不思議。かっちりした入試問題も上の三つの関係の組み合わせからなっているし、それを問うているのだ、ということがはっきりとしてくる。無意識に解いていたような問題も、きちんと説明されるとなるほどと思う。これまで国語の入試問題などはあまり得意ではない、どう書いていいかわからなかった、という人も、辛抱強く読んでいると頭の中に論理の枠組みがある程度できあがるようになっている。
当たり前に思えることを、一歩一歩考えていくのが論理的に読むということなのだな、ということをあらためて感じた。


この本を読み始めたのは、論文などの添削や指導をするときに役に立つかなと思ったからだ。うまく書ける人はさらさらと、読者が論理をたどれるように書けるが、書けない人は書けない。かといって、彼らの文章を「論理的にこれはおかしいだろう」と思っても、私はそれをわかるように指摘できないのだ。
自分の得た(と思っている)「論理的」なるものは、ニュアンスでしかない。体系的に誰かに教わったわけではない。論文などのカチカチした文章を書く際に決定的に重要なその「論理」を言葉で、「これがこのように論理的ではない」とわかりやすく説明できるような頭になっていないのだ。
恥ずかしい話だが、あんがい、このことに同意してくれる人もいるのではないかと思っている。論理をきっちりと教わることは今の学校教育では(たぶん)ない。そして、それが重要なのに経験的なもので、体得している人もしていない人もいる、というのは論文を書いたりする段になってはっきりとわかってしまうのである。
この本の三つのキモ、対と言い換えと媒介という概念は、論理的な文章とは、ということをわかりやすく説明するのに少しは役に立ちそうだ。こことここが対になるはずなのになってない、とか、言い換え方がばらばらになっている、とか、ある程度このワードでわかってもらえることも多いと思った。
実際に、最後の8章では、少し長めの論説を読み、その文章(もちろんかなり説得力がある完成された文章なのだが)の不備を著者が指摘していく。いわく、「対」や「言い換え」の構造を見出したうえで、「対である二つの関係について述べておらず、少しわかりにくい/構造が見えにくい」というようなことについて具体的に述べていく。
この部分はとてもわかりやすかった。より文章を良くするためのコツの一つとして、この本で練習する概念が実際に役に立つことがよくわかる。せっかくなので、こういった、文章をより論理的にするために、という内容をより深めて広げた本を期待したい。
下の本を読んでああすばらしい、と思った記憶が残っていたのも、この本を手に取ってみた理由である。もう少し、また違った角度から、論理的な文章を書くとは、ということを言っている類書を探してみたい。
杉原厚吉「理科系のための英文作法―文章をなめらかにつなぐ四つの法則 (中公新書)」 - 千早振る日々