水木しげる「ほんまにオレはアホやろか (新潮文庫)」

これは面白い!勉強そっちのけの少年時代から、戦争で南方に赴き生死の境をさまよった青年時代、さらには貧乏な紙芝居絵師時代を経て『ゲゲゲの鬼太郎』を生むまでの七転八倒の人生を水木しげるが語る。
薄い本だが中身が濃すぎて、笑いどころ満載である。いや、書いてある内容だけをもう一度考えると、笑うどころか、悲惨だったり読んでいて辛いところもある(というかそういう部分が多い)はずなのだが、その語り口と人生の展開のスピード、なにより著者のおおらかな人生観が、読者にそう思う暇を与えない。逆に、もっと話を聞きたくなるような気にさせてくれる。
著者が南方で大変な思いをしたことは聞いたことがある。しかしこの本を読んでいると、それよりも戻ってきてどうにかマンガでやっていけるようになるまでの話の方がとても大変そうだ。
紙芝居絵師からマンガに転向したときの苦労。『時代の流れの中で、一つの業種が壊滅していく悲惨さはたいへんなものだ。(p183)』と語るように、紙芝居という、子どもたちをおおいに惹きつけた分野が滅びようとしているなか、貸本マンガという新たな分野に進出しようとするが、出版社の事情は苦しく、どこもとってくれない。家賃が払えず、質屋に通いながら作品を売り込む。

「うちじゃ、こんなものはだせないね」
この言葉を二度、三度とあびると、もう精神的にダウンだ。ぼくは人より劣るのではないか、世の中の人はみんなぼくよりエライのではないか、こう考えだして、立ちあがれなくなるのだ。(p186)

勉強ができなくても、そんなものさと思っていた著者の、一冊を通しておかしみのある体験談のなかにふっと現れる弱音。これを読んでいると、衣食住足りた生活の中で感じる悩みがあほらしくなってくる。押し付けがましい形ではなく、「生きていればなんでもできるよ」と背中を押してくれる気がする。
しかしこれで終わりではない。貸本マンガもまた沈没していき、現在に至る、雑誌マンガの時代になるのである。ここでもまた、著者は悪戦苦闘の毎日を送ることになる。このとき、著者は既に40歳を過ぎており、マンガ家として陽の当たる存在になることをあきらめかけていた。
逆に言えば、40を過ぎても何もなくても、こつこつと仕事をしていれば、どこで何が回ってくるかわからない、ということだ。著者はなぜそのあと原稿料が入り、忙しくなってくるようになったかについても、まるで天からふってきたようにさらっと書いていて、多くを語らない。ここでもまた、押し付けがましくない感じがいい。
悲惨なことは、おかしいエピソードとともに。うまくいったことには、理屈をつけないし説教もたれない。だから読んでいて偉そうな感じはまったくない。自分の人生について笑い飛ばせる余裕を持ちたいなと心から思った。
勉強はだめで、ある意味周囲の人間とは少し違う息子をあたたかく見守り、著者を絵の道へと背中を押してくれた父の懐の大きさが印象に残った。学校にも適応できなかった子どもに対して、平気な顔で『どうや、やめるか(p59)』とはなかなか言えるセリフではない。楽天的な、生きていればいいじゃないかという父の姿勢が、著者の生き方につながっていることをよく感じることができる。子どもにどういう才能があるかなどは難しい話だが、せめて、どんなときでも、誰かをひがんだり自分を哀れんだりしないで、楽天的に生き延びられるように育てたいものだ。
先行きが不安だとか、儲からないだとか、そういう理由でひどく狭量になって自分だけしか見えなくなったり、自分の好きなことを貫くのをやめてしまったり。著者から見ると、そういう人の行動は不思議だろう。成功できるかはともかく、「生きてはいける」という根拠のない自信が、人間をこれほどに大きく、強くできる。

つべこべ言わなくても面白い自伝。南方でののどかな地元の人々との交流の話や、戦後に魚屋、アパート業を営んでいた際の周囲の変な人間のエピソードもおかしい。