高瀬正仁「岡潔―数学の詩人 (岩波新書)」

数学の情緒に関して語り、独自の思索で数々の数学的な発見をした数学者、岡潔。名高い随筆(読んだことはないが)とともにその名前だけは知っていた。この本は、そんな彼の研究人生を、その思索に寄り添ってたどっていく。

科学は、特に数学はそうだが、問題を作ることが第一歩である。答えを出すのはそのあとで、良い問題を打ち立てることが研究の大きな部分を占めるのは確かだ。
この本の第3章では、岡潔が、生涯をかけて追い求めるような問題を作る過程を、その残されたノートなどから読み解いていく。数学の歴史に詳しい著者ならではの取材に基づいた展開だが、さすがにこのあたりは全く意味が分からない。ほんとうにむずかしい。ただ、岡潔が30歳を超えてから、さまざまな先人の考えたことを咀嚼して、自分の大きな問題として一つの理想を描いていった姿はよく見えてくる。
30を超えて、というところがいい。その歳で、ここが勝負どころ、とじっくりと腰を据えて取り組むことのできる問題を練り上げていったのだ。一生で10本の論文のみを発表したことと考え合わせると、この人が一つ一つの問題を、今研究をしている人には途方もないほどのゆっくりした時間をかけて、じっくり考えていった人だということがわかる。大きな理想をかかげて、それに向けてじっくりと一本ずつ論文を出して前に進んでいく。その姿は、なんと堂々としたものであろうか。

研究に構想があり、大きな見通しに沿って思索を進めていくのが岡潔の思索の姿であった。(p108)

理想的だ。長い時間をかけて、成功しうるかわからないことをやっていくのは、今の日本で研究をしていくのには難しいのかもしれない。しかし、こういう長期的な、大きな視点で研究を進めていくからこそはじめて分かることがあるのだ、ということを岡潔の生涯が雄弁に語っている。
雪の結晶で有名な物理学者、寺田寅彦の弟子である中谷宇吉郎と親しく交わっていたことは初めて知った。岡潔の彼への手紙に示された気持ちは実に正直で、心を許していた様子がよくわかる。他人には心情を理解しがたい、奇人とも取られるような行動や生活の苦難がありながらも、彼との親密な文通や海外の研究者との密かな心の通じ合いを通して数学者として仕事をしていった岡潔の姿が見えてくる。
行動はどう思われようとも、心は数学の世界を自由に歩き回っていたのだろう。それができる心の自由さをうらやましく思うとともに、その孤独はまったく想像を絶する。

岡潔の本来の面目は、数学の世界に描いた理想をどこまでも追い求めてやまないところにあった。ところが理想の追求はつねに社会通念と乖離し、摩擦を生じ、大きな数学上の発見に出会う場において岡潔はいつも孤独であった。(p156-157)

偉大な数学者の自由な心と孤独。その姿を安易な姿でなく描いた、難しいながらも心に響く一冊。