中島隆信「子どもをナメるな―賢い消費者をつくる教育 (ちくま新書)」

帯が、「さよなら!モラル教育。」となっていて、本の内容をよく示している。
子どもに勉強する意味を教えるのはとても難しい。著者は、「将来まともな仕事をするため」とか「生きていけないよ」とか「大人になったらよかったと思う」とか、そういう類の動機付けは無理があると主張する。すなわち、

問題なのは、勉強を「仕事」や「大人」といった子どもにとって身近でないものに結びつけてしまうことだ。学習意欲を向上させるには、勉強がすぐにでも役立つということを教える必要がある。そのときもっとも有効と考えられるのが「消費者になるための教育」というキーワードである。(p27)

と述べて、「消費者教育」として動機付けをするべきだ、と書く。これは経済学者である著者ならではの視点で、真新しかった。
よく糸井重里さんが言っている『消費のクリエイティブ』という考え方と似ているだろうか。誰もが消費者であるならば、本でも食べ物でもレジャーでも、それをいかにクリエイティブに、人生の楽しみの一つとして消費できるかが重要であるという考えは子どもにも比較的わかりやすそうだ。もちろん、ただ創造的とか楽しむというにとどまらず、損したりだまされたりしない消費者になるためのコツも含めて教えるわけだ。
この考えに沿って、教育学者ではなく経済学者である著者は、「賢い消費者」になるための教育の中身を第三章で提案する。著者も断っているとおり内容は薄いが、アイディア自体はなるほどとうなずけるもので、これをもとにして親や先生が各自具体的な方法を考えていくのは悪くない。むしろ、子どもと家で接する際に参考になることのほうが多いように思う。
人のことを考えなさいとか、人の迷惑にならないようにしなさいというモラル教育というのも、ただそれだけを言っているのでは説得力がない。わかっている親や先生は自然に教えていることかもしれないが、

個人が互いの存在を尊重することは国民が強制的に従わされる社会の掟なのではない。自分の利益、ひいては社会全体の利益につながる人間の知恵なのだ。(p181)

ということを、すぐにはわからなくてもじっくりと伝えていくことが大事なのだろう。

この本を読んでいると、科学教育についても少し考えざるを得ない。誰もが科学者になれるわけではない。誰もが主体的に科学をできる必要もない。これはスポーツと同じで、誰もがプロ野球選手やサッカー選手になれるわけでもなる必要があるわけでもない。
科学にとって「消費」とは、と考えていくとスポーツや芸術と同じように考えてもいいのかなと思った。スポーツや芸術を鑑賞して「すごい」と感じられること、いいものをいいと思えること、そして人生を楽しむ一つの側面を持てること、それが体育や美術の一つの意味だとしたら、科学も同じだ。実験教室も悪くないが、いい科学書を読んで楽しめること、サイエンスのニュースにすごいと思えること、くらいを目標に、科学の先人たちの人生や歴史も含めて楽しく伝えていくことには意味があるように思える。
そういった、いろいろな勉強をなぜするのだろう、というところがしっかりしていないと親としても教師としても教育のしようがないはずで、それをまず考えさせてくれるという意味ではとても面白く、考えさせられる本である。